「君が悪いんだ…君が…」
それしか言葉を知らないように頭上で繰り返される言葉。
もう抵抗する気力もなく、考えることもしたくはなかった。
信じていたのに。
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「御剣!」
その日、裁判所から出た私を聞きなれた声が呼びとめた。
すっかり目に馴染み過ぎてしまった青いスーツの弁護士だった。
相変わらずどこかだらしなく、穏やかな笑顔を浮かべている彼に、思わずこちらも笑みがもれる。
命の恩人でもある幼馴染“成歩堂”は私にとってはかけがえのない親友ともいえる存在である。
父を失った事件から灰色の世界をただ生きてきた私に色を与えてくれたのは彼だった。
あの事件以降、私は自分が殺人者かもしれないという疑念から解放されたものの、尊敬する狩魔先生に裏切られる形で後ろ盾を失い、一人放り出されてしまった。
日に日に風当たりの強くなる検事局で安らげるのは自分の執務室だけ。
そんな中でも以前と変わらず、むしろ交流が深くなったのは彼と糸鋸刑事だけだった。
誰か一人でも私を見守ってくれる。損得勘定なしに助け合える純粋な人間関係の温かさは今まで15年間忘れていたものだ。
「御剣も裁判所に来てたんだな。何か用事があったのか?」
「ああ、少し資料の引き渡しにな。今日の事件の担当は君だったのか?」
他愛もないこんな世間話が続く。
以前の私なら身にならないこんな会話は煩わしいとさえ思っただろう。
「君、今日はこれからどうするんだ?」
「うむ、これから一度検事局に戻り仕事を片付けるところだ」
「あの、君がもしよかったらなんだけど、仕事が終わってからぼくの家で飲まないか」
どこか、そわそわと落着きがない様子の成歩堂を訝しく思いながらも友人としての誘いを無下に断るつもりもない。
今まで、このような友達らしい行為をしたことがない私にとって、15年ぶりの成歩堂との付き合いはすべて新鮮だった。
「ああ、今日は特に予定もない。少し遅くなるかもしれないが後で君の家に伺おう」
「本当?!嬉しいな、ぼくの家わかる?」
「だいたいな。近くまで行ったら連絡を入れる」
「わかった、待ってるよ!迎えに行くから」
大袈裟なほど自分の訪問を喜ぶ成歩堂に、心が温かくなる。
お互いを気軽に誘ったり、世間話をできるこんな関係がずっと続けばいい。15年のブランクはこれから埋めていけばいい。
せっかく芽生えた友情を大切にしていこう。
私は突然できた今晩の予定に思いを馳せた。
「ちょっと散らかってるけど…」
そう言って少し恥ずかしそうに成歩堂は、私を部屋の中へ案内した。
彼の言う通り、床の隅には本が積み上げられてなんとなく埃をかぶっているようだったが、思っていたよりずっと片付いている。
真宵くんに足の踏み場もないほどの汚さだと聞いていただけに、内心ほっとした。
よくよく観察すると、クローゼットから服の端がのぞいている。
私の訪問に急場を凌ぐために散らかっていたものを詰め込んだのだろう。その様子が目に浮かぶようで思わず小さく笑った。
そういえば、彼は小学生の頃から整理整頓が苦手だった。
クローゼットに遣った視線に気づいた成歩堂が慌てて、服の端を詰め込み直してぴっちりと戸を閉める。
「あ、あんまりジロジロ観察するなよ」
「すまない、職業柄クセになっているようだ」
いささか不躾だったかと、咳払いし、気を取り直して持参したワインのボトルを手渡す。
「わ…ワインってお前」
「ム、君はワインは飲まないか?すまない」
ぎょっとする成歩堂に、私は急に不安になった。
なにしろ、こういった付き合い自体が初めてで、こんな風に気安い感じで友人の家に招かれるなんてことも、もちろん初めての経験だ。
簡単に了承したものの、こんな時に何を手土産にするのが正解なのかなんて私には分からない。
「いや、ごめん。ぼくもワイン好きだけど、こんな高そうなものいいのか?」
「そんなことか。気にするな。君と飲みたいと思って持って来たのだ」
「そうか、嬉しいよ。ありがとう」
どうやら、間違いではなかったらしい。表情には出さないが、彼の笑顔にほっとする。
テキパキと冷蔵庫から缶ビールやチューハイ、日本酒の瓶などを取り出して来てフローリングの床に並べる成歩堂を私は立ったまま眺めていた。
それに気がついた彼が、部屋の奥から何やらトレーナーとジャージを取ってきて手渡す。
一瞬、理解できなかった。
「君の格好じゃ寛げないだろ。スーツ皺になっちゃいけないから脱ぎなよ。それに着替えてくれ。サイズはたぶん大丈夫だと思う」
トレーナーにジャージなんて、普段は私の美意識が許さないところだが、こういう場ではこういう姿になるのが礼儀なのだろう。
ちらっと成歩堂を見遣れば彼はにこにこと笑っている。
「……」
「どうしたの?……やっぱり、トレーナーなんて着たくない?」
「いや、すまない。着させていただく」
悲しそうに眉を顰める彼に、慌ててスーツの上着を脱ぐ。
と、クラバットにさしかかったところで、ふと視線が気になった。
じっと、食い入るように成歩堂が私の胸元を見ている。
「その…あちらを向いていてもらえないだろうか…」
「あ、ああ、そんなこと。どうして?男同志なのに気にする必要ないよ」
「しかし…」
「うん、ごめんあっち向いてるよ」
確かに男同士で意識する方が不自然なのかもしれないが、このように穴があくように見つめられて気持ちのいいものではない。
別の方を見るつもりはないらしい彼に諦めて、私は服を脱いだ。
クラバットを外し、カッターのボタンを外す。三つほど外したところで、ごくりと、生唾を飲み込むような音がした。
見れば、成歩堂がいつの間にかこちらを見ている。
やけに、ギラギラとしている彼の視線にますます居たたまれなくなった。
「成歩堂…」
「あ、ご、ごめん」
咎めるように名前を呼べば、慌てて彼は顔を赤くしてようやく視線を反らしたが、その後も私が着替えきるまでそわそわと落着きがなく、時々こちらをそっと見ているようだった。
缶ビールや、口にしたことがなかったチューハイという甘いお酒を飲みながら、成歩堂との会話は弾んだ。
主に、彼が話題を提供して私がそれに頷いたり意見をいうというものだったが、とても充実している気がした。
普段、飲まない量のお酒を飲んでしまっているのも、きっと相手が気心の知れた親友であるからだ。
自覚はなかったが、相当量のお酒を開けており、なんとなく手先が覚束ない。
揺れるグラスから僅かに水滴が数滴トレーナーの袖口に滴る。
初めて着たフード付きのトレーナーと青くゆったりとしたジャージ。
なんとなく洗剤の香りに混じって彼の匂いがする気がした。
それは決して不快なものではないが、他人の体臭のする服に袖を通すなんて考えたこともなかった。
これが、友情というものなのだろうか。
「これは君の普段着なのか」
「え、そうだけど。どうして?」
「いや、なんとなく君の香りがする」
そう言って、着ている服の袖の香りをスンスンとかぐ。
と、ガシャンという大きな音が響いた。
見れば、成歩堂が注いだばかりのグラスを盛大にぶちまけてフリーズしていた。
彼のズボンは酒でビショビショで、この分では下着も濡れてしまっているだろう。すぐにでも脱いでしまいたい不快感だろうに、彼は止まったまま動かない。
「何をしているんだ君は。大丈夫か…」
持ち歩いているハンカチで動かない彼を拭ってやろうと、手を濡れたそこへ伸ばした。
「…!」
「み、御剣…ぼく…」
何気なく触れたとこは、確かに不自然な硬度を持っていた。
男なら誰もが覚えのある生理現象が、成歩堂に起きている。なぜ、そうなったのか、まったく予想がつかないが。
「みつるぎ…君が…お前が…悪いんだ」
低く、唸るようにようやく声を出した成歩堂に、反射的に体を起こそうとして両腕を掴まれた。
「成歩堂、放したまえ。酔っているのか君は」
「…そうだね、酔ってるのかも…こんな、つもりじゃなかった」
「何を言って…」
「君がぼくを煽るようなことをするから…!!」
強く、聞いたこともないようなするどい声で、吐き出すように叫んだ成歩堂が、私の腕を掴んだまま強引に引き倒す。
予想もしていなかった強い力に、私はそのまま仰向けに倒され、背中から腹に衝撃が走る。
「ぐっ!…いい加減にしろ」
「君が…君が悪いんだ!」
念仏のように彼はそう呟きながら、私の上に乗り上げてくる。
これから何が起こるのかなんてわからない。
ただ、私が望んでいた、大切にしていた関係によくないことが起ころうとしていることだけは分かった。
「いやだ!やめろ、成歩堂!…君は酔ってるんだ」
「このままでいいって思ってたのに…君が悪いんだ!!!」
もう一度大きく成歩堂が叫んだと同時に、私は鳩尾に強い衝撃を受けた。
そして、そのまま意識を手放してしまった。
ぼんやりと意識が浮上したとき、最初に耳に入ったのは胸元に感じるぬめった感触。
そして、ひんやりとする背中に身震いした。
「な…ん!」
先ほどまで一緒に酒を飲んでいたはずの成歩堂が、私の胸元を舐めていた。
気がつけば、先ほど着ていた服は脱がされ、ほとんど裸に近い。
サッと羞恥心がわき、成歩堂を体の上からどかせようと、手を動かそうとして、自分の両手が頭上で固定されていることに気がついた。
例のトレーナーでテーブルの脚に強く結ばれ、固定されている。
当然、こんなことをしたのは成歩堂でしかありえない。
「やめろ!…放せ!なぜ、このようなことをする!」
「きみが…君が悪い。ごめんな、君が悪いからいけないんだ」
的を得ない応えしか返ってこない。
これは彼が今酔っているからなのだろうか。
ただ、成歩堂は赤ん坊のように私の胸を吸い続ける。
「っく…やめ…」
立派な成人男性が同じくらいの体格の男の胸をひたすら舐め、吸い続けるこの行為が傍目から見てどんなに倒錯的かと、眩暈がした。
「あっ!…」
味わったことのないぞくぞくとした感覚が背筋を走り、思わず腰が浮く。
「御剣、男なのにここ感じるんだ…」
感じる?成歩堂が何を言っているのか、完全に理解の範疇を超えていた。
私自身、酔っているのか、固定されていない足も思うように力が入らない。
「っは…く…やめ、ろ…んっ、ん!!」
成歩堂のぬめりを帯びた舌は、胸、腹と下って行き、ついに私のそれに辿りつき、銜えこんだ。
「あっ、あ…っ放してくれ…!も…っぁあああ」
舌で巧みに舐め上げられ、体は震える。
鈴口を舌の先で抑えつけられ、腰が跳ねると同時に成歩堂の口腔に吐き出してしまった。
他人の口に、ましてや、親友の口に出してしまうなんて。恥ずかしくて、居たたまれなくて、涙が出る。
「君の、美味しい…どんな酒より酔えそうだ…」
成歩堂はどこか満足そうにつぶやき、一生味わいたくもなかった自分の体液の味のするキスを私にふらせる。
「はぅ…ん…っ」
力が抜けて、吐き出した余韻で痙攣している足を抱えあげられ、信じられない場所に成歩堂が触れてくる。
指先に何か塗りたくっているらしく、そこはぬるりと湿っており、抵抗をものともせず、無遠慮に入り込んできた。
「!!あっ…やめ、てくれ…なぜ、こんな…」
「ごめんな、ごめん。ぼくでも、もう限界なんだ」
指を乱暴に挿出して、無理やり中を解す。
さすがに、これから何が起きようとしているのか、理解し、力の入らない体で、必死に抵抗した。
「いやだ…!やめ…!っう…あ、ああ!痛い…っ」
やがて半ば強引に侵入してきた熱量に、引き裂かれたように痛みが走った。
暴れ叫ぶ私の足をがっしりと体重と腕で固定して、成歩堂は我を忘れたように腰を打ちつけてくる。
突き上げられると同時に、内臓が押しやられるような圧迫感で息ができない。
苦しい、痛い。どうしてこんなことをするのだろうか。
何者にも代えがたい唯一無二の親友だと、思っていたのに。信じていたのに。
15年も彼の友情を無下にしてきた罰だというのだろうか。これは、彼の復讐なのだろうか。
生理的な涙と共に、幼いころから何度も経験していた、自己の崩壊を感じていた。
信じている者にこっぴどく裏切られる、どうしようもない喪失感。
痛みで何度か気を失いかけ、その度に衝撃で無理に意識を取り戻す。
成歩堂が一度中で達してからは、潤滑油の役割を果たしてか、体の負担は少しだけ軽くなった。
しかし、その分揺さぶられる度に、奥の方で何かが反応するように、腰が跳ねる。
「あ、あっ…ひ…、あぁ」
「御剣、みつるぎぃ…あっく、君が、君が悪いんだ…っ」
それしか言葉を知らないように頭上で繰り返される言葉。
もう抵抗する気力もなく、考えることもしたくはなかった。
信じていたのに。
何度目なのか分からない彼の熱を体に受け、私は同時に達してしまった。
私の中で何かが終わる。
ガシャンと、心で何かが壊れる音がした。