「――あ、そういや今日、変な話を聞いたッス」

 不意に糸鋸が、そう話を切り出した。

 夕暮れの執務室。本日予定していた裁判を終え、御剣と糸鋸は、残ったデスクワークに励んでいた。

「……? どんな話だ」
 糸鋸は御剣に資料を渡しながら、もう片手で頭を掻いた。
「……いやあ、その、言うべきか、どうか……ッス」
「私に話すつもりで切り出したのだろう。ならば、早く証言したまえ」
 眉を八の字にして、糸鋸はバツが悪そうに話し始めた。
「いやあ、その…………か、狩魔検事の、事ッスが」
 狩魔、検事。ずきりと、頭が痛んだ。
「狩魔検事が、どうしたというのだ」
 声は、震えていなかったはずだ。自分から証言を求めたのに、今はそれを聞きたくない自分が居る。
 だが、聞かなければならない。何故か、そう自分自身に脅迫されているように感じた。

「狩魔検事のお墓が……その、壊れた、らしいッス」

 かちり、と、嫌な音が、聞こえた気がした。
 歯車が噛みあうような。本来心地よいはずの音が、無性におぞましく響いた。

「何でも、その。お墓がある地域で地震があって。結構大きな地震だったらしいんスけど。それで、その……
折れちゃったらしいッス、墓石」

 話すな。聞きたくない。
 だが、その言葉が出ない。

「これが、不思議なんスけど……墓の中を調べたら、遺骨がそっくり消えてなくなってたらしいッス」

「ちょっと前のどっかの国みたいに、地震にかこつけた墓荒しが出た……なんて話になってるみたいで、その地
域の警察、遺骨を探すように頼まれたらしいッス――」

 きっと、遺骨は見つかるまい。そう思った。
 何故なら。彼は。


 夕べ、私の元を、訪れたのだよ。



 あれは、夕べの事だった。確か深夜を回っていたように思う。
 仕事を済ませた御剣は、帰宅後すぐ、シャワーや身支度も適当に、ベッドに潜り込んだ。
 早く脳を休ませなければ、明日の(いや、今日の)仕事に障るからだ。
 ひいやりとしたシーツに身を委ね、御剣は目を閉じた。

 それから、何分後だっただろうか。
 不意に、御剣は目を覚ました。だが、身体は動かない。呼吸も、出来ない。
 ――金縛り、か。
 御剣は、しかし覚めた頭で、そう分析した。

 子どもの頃、成歩堂や矢張と一緒に、その手の本を読んだり、テレビ特番を見たりしたことがあった。その時
はとても恐ろしい現象だと思ったが、今はなんて事のない生理現象だと知っている。
 DL6号事件直後、ろくに睡眠もとれなかった時、よく金縛りに遭った。目を開けると、父親が自分を恨めし
げに見下ろしているのだ。
 その事を、当事かかっていたカウンセラーに話した所、それは、医学的には「睡眠麻痺」と呼ばれる、唯の生
理現象であると知った。
 それ以来、少なくとも金縛りに逢う事は無くなった。ただ金縛りを、悪夢であると認識しただけといえば、そ
うなのだが。

 事件解決後からは、徐々に悪夢を見る回数も減り、最近は殆ど見ていなかった。それが金縛りという形で現
れるのは、本当に久しぶりの事だった。
 恐怖感は薄い。だが息苦しい。そして金縛りは、自分の意思で解く事は、なかなか難しい。
 最近、疲れていたからか――と、御剣は他人事のように、天井を見上げていた。



 (――ッ!?)
 不意に、空気が変わった。
 ひいやりとした冷たい雰囲気が、御剣の身体をゆっくりと這い上がってくる。
 これは――夢だ。夢のはずだ。なまじ金縛り時の悪夢は、現実と見紛うばかりの幻覚をもたらす。
 御剣はそう自分に言い聞かせた。
 ――しかし。

「御剣」

 すっ、と、血の気が引いた。
 あの、声は。

「御剣」

 御剣は目を閉じようとした。身体を動かそうとした。出来ない。身体が動かない。当然だ。金縛りなのだか
ら。

「御剣――怜侍」

 地を這うような声。壁に浮かび上がる青白い影。
 その声は。顔は。貴方は――

「戻って、きたぞ。――御剣怜侍」

 こつ、こつ、と。聞こえるはずのない、靴音が聞こえる。自分のベッドに、彼が歩み寄っている。
「これは幻だと思うか? 御剣。我輩が、唯の生理現象から生み出された幻覚だと?」
 あざ笑うような老人の声。こつり、と足音が止まる。ああ、欧米の幽霊には足がある、と自分に教えたのも、
彼だったか。


「存外、退屈なものだよ。あの世というものは。だが何かが、我輩を此方に目覚めさせたのだ。感謝しても、し
きれぬよ」

「こうして、再び愛しい弟子に会えたのだから。――なあ、御剣怜侍」

 蒼氷の瞳が、此方を見下ろした。

「ほう。まだ我輩の存在を疑うか。自分自身の単なる幻覚と済ますつもりか?」

 片頬を歪める仕草。15年間見続けたそれ。本当に――今、此処に生きているようだ。

「ならば証拠を残してやろう。真実を語るのは証拠品のみだからな」

「貴様の身体に、証拠を刻んでやろう」

 瞬間。青白い手が、御剣の首に伸びた。ぎりぎりと、絞め上げられる。

「気持ちよさそうだな、御剣」

 彼の膝が、御剣の股間を刺激している。自分でも、勃起している事を自覚してしまった。

「果ててしまえ、御剣、首を絞められたまま、殺されかけたまま。そうして己の異常性を自覚するがよいわ」

 異常――ああ、果たして異常なのは、どちらだろうか。
 私か。それとも、化けて出てまで私を犯し殺そうとする、狩魔豪か。


 目が覚めた時、御剣は夢精していた。とりあえず下着を替えようと脱衣所に入り、洗面台の鏡に、自分の姿
を見た。
 そして、その証拠を発見した。

 首についた、大きな手形。首を絞めた跡。証拠が、そこにあった。







「全く、罰当たりなヤツもいたものッス! どんな人間であっても、墓荒しとかは絶対しちゃいけないッスよ!
 ね、御剣検事!」
 ふ、と。意識が戻ってきた。
「……ああ、そうだ。死者の眠りを妨げるような真似をしては、ならない」
 尤も、世の中には勝手に起きてくる霊もいるようだが。
「…………御剣検事?」
「ム。どうした」
 見上げると、糸鋸が不安そうな顔で、こちらを見ていた。雨に濡れた犬のような、情けない顔をしている。
「御剣検事、顔が真っ青ッスよ。唇までブルブル震えてるッス」
「ム。そうか」
 自分では気づかなかったが。
「う。……や、やっぱり自分があんな話したからッスかね。すまねッス。御剣検事、今日はもう仕事やめて帰
るッスよ」
「何故君が私の仕事の時間を制限する。そんな権限があるのか」
「自分が考えなしに話して御剣検事の体調を悪くしたからッス! 自分が責任とるッスから、今日はもうやめ
るッス! 昨日も遅くまで仕事してたッスから!!」
 そう力説する糸鋸。時計を見ると、午後5時を少し回った頃だった。平素ならまだ仕事中の時間だが。
 しかし、なんというか。自分が休まなければ、糸鋸の方が参ってしまいそうな顔をしていた。
「――解った。ならこの分だけ終わらせて、今日は帰る事にしよう」
 そう言うと、糸鋸は腕まくりをして、
「解ったッス! じゃあ、自分早く終わるようにお手伝いするッス!」
 と、気合を入れた。

 かくして、糸鋸の頑張りもあってか、仕事は予想以上に早く片付いた。
 しっかり休むッス!と釘を差す糸鋸に見送られ御剣は帰路に着いた。

 そうして何事もなく、マンションに到着した。2階に上がる。
 ドアを開けると、部屋が夕焼けで赤く染まっていた。
 この部屋は、宵闇の濃紺で染まっているのが常だ。こんな色になった部屋を見るのは、随分久しぶりのような
気がする。
 熱いシャワーを浴び、バスローブに袖を通す。シトラスオレンジの紅茶を淹れて、ソファに腰掛けて飲んだ。
 久しぶりに、休息らしい休息、落ち着いた時を過ごせた気がした。



 電子のチャイム音が、意識を覚醒させた。と同時に、自分が転寝していた事に気づいた。
 ゆるゆるとソファから起き上がる。妙な姿勢で眠っていたせいか、身体のあちこちが軋んだ。
 そのまま電話に歩み寄ると、備え付けられたモニタに人影が見えた。
 受話器を、とる。
『あ、御剣? 僕だけど……』
 見慣れたギザギザ頭が、モニタに映っている。
『上がっても大丈夫? 元気かなーと思って、様子見に来たんだけど』
 恐らく、糸鋸から聞いてきたのだろう。ということは、恐らくあの時間検察局に居た人間は、殆ど自分の体調
不良を知っているのだろう。
 今具合が悪くなった、と追い返す事も出来ずに、御剣は、ああ、と返事を返した。

「何か久しぶりだな、御剣の部屋に来るの」
 お邪魔しまーす、と無邪気極まりない声で成歩堂は部屋に上がってきた。
「どう? 体調は」
「見たままだ」
 成歩堂はじっと御剣の顔を見つめ、
「うん、具合いいみたいだね。イトノコさん、御剣検事が死んじゃいそうッス!って泣きかけだったから、熱と
か出てたら大変だろうな、と思ったんだけど」
「……やはり糸鋸刑事か」
 どうしてこの男に話したのか、と、多少頭が痛くなった。が、きっとどちらも此方を心配してのことだろうと
思うと、何も言えなかった。
 何も言わずに御剣は、成歩堂用と自分のティーカップを取り出し、新しく紅茶を注いだ。
「それにしても、何なんだろうな」
 成歩堂は紅茶を一口飲んで、呟いた。
「……何がだ?」
「…………お墓の件」
 かちゃり。ティーソーサーが、音を立てた。
「それも……聞いたのか」
 ぞわぞわと、寒気が忍び寄るのが解る。
「うん。……なあ、御剣――」



 嫌だ。言わないでくれ。どうしてお前達は。
 心配しているふりなのか。傷を暴き立てたいだけなのか。
 ――もう、やめてくれ。

 次の瞬間。御剣は、成歩堂に抱きしめられていた。

「え……、な、成歩堂……?」
「……御剣」
 成歩堂の体臭がする。成歩堂の鼓動が聞こえる。
「何も言わなくていいよ、御剣。……僕が、助けてあげるから」
 助ける、だと。一体何を、どうやって。

 ――ああ、そうか。いつもと、同じようにするのか。

 成歩堂は軽く御剣に口付けた。柔らかい体温が、傷口を塞ぎ、冷えた身体を温めていく。
 2度、3度、と、成歩堂は啄ばむように、御剣に口付けた。御剣もそれに答え、口付けを返す。
 そうして何度か口付けた後、成歩堂は、御剣の耳元で、囁いた。

「……ベッドに、行こう」







 御剣をベッドに座らせて、成歩堂は額にキスをした。
 そして、シャワー浴びてくるね、と言った。
 自分が使った後のシャワーを成歩堂が使う。それだけで、御剣は淫靡なものを感じ、ごくりと唾を飲み込んだ。
 今朝は悪夢に怯えていたのに。夜にはもう、成歩堂を求めようとしている。
 浅はかとも思ったが、今は身体を成歩堂に委ねてしまいたかった。
 彼の体温は、私のこころを暖めてくれる。
 鏡を見ると、首についた手形は、目立たなくなっていた。そうだ、あれはやはり夢だった。きっと、自分で自分の首を絞めるような、馬鹿な寝相をとってしまっただけだ。
 今から成歩堂に抱かれれば、全てを忘れられるはずだ。あの悪夢も、嫌な報せも。

「――お待たせ、御剣」

 声に、振り返った。肩にタオルをかけた成歩堂がいた。
「使わせてもらったよ。あのシャンプー。いい匂いだった。センスがいい」
「そうか」
 私は、ちゃんと笑えているだろうか。
「硬くなるな、御剣。僕に、任せろ」
 成歩堂はそう言って、私の隣に座った。ぎしり、とスプリングが軋む。
「何も、心配は要らない。……そうだろう、御剣」
 成歩堂は、私の肩に腕を回してきた。普段の仕草だ。何も変わらない。
 ――しかし。
 何だろう、この、肌の粟立つような、寒気は。
 成歩堂の肌は、冷たかった。先ほどまでシャワーを浴びていたとは思えない程に。ひいやりとして、少し硬く、ああ、そうだ、この感触は……
「ああそうだ、明かりを消そう」
 成歩堂は私から腕を離すと、少し待っていろ、と後ろを向いた。枕元に灯った明かりを消そうとしているのだろう。



 ばさり、と。タオルが落ち。
 御剣は、硬直した。

 あれは、あの、痕は。いや、ありえない。どうして、彼に、そんなものが――


「成歩堂」
「……何だ?」

「ひとつ、聞いてもいいだろうか」
「ああ」

 今ほど、成歩堂の背中を、恐ろしく感じた事はなかった。

「その、首の痕は、どうしたのだ」
 まるで、輪で絞められたような、痕。御剣はあの傷痕を、よく知っている。あれは、そう、自殺した人間の――
「……ああ、これ、か」
 成歩堂の指が、赤い痕を、つうっとなぞる。
「大した事はない。少し、強く締めすぎただけだよ。……ネクタイを」
 そう、か、と、御剣は曖昧に頷いた。
「……もうひとつ、聞いても、いいだろうか」
「……質問が多いな」
「すまない。だが、これが最後だ」
 御剣は、息を吐き――尋ねた。

「その、肩の弾痕は、何だ」



 成歩堂の肩には、傷痕があった。ピストルで撃たれた、傷痕が。

 一瞬の、沈黙。そして。

「……ッ、ふ、ふふふ……はははははははははッ!!」

 成歩堂の、哄笑。

「これか? この弾痕か? 決まっているではないか、御剣!」

 次の瞬間。御剣は、成歩堂に押し倒されていた。強かにマットレスに倒れこむ。反動で動けない隙に、冷たい手がそのまま御剣の両手首を纏め、身動きを止めた。


 成歩堂の蒼氷の瞳が、此方を見下ろした。


「貴様が撃ったのだよ、御剣怜侍! 17年前のあの日に!!」


 片頬を歪める仕草。15年間見続けたそれ。
 狩魔豪が、そこに、いた。
 成歩堂龍一の、躯を借りて。




「……か、狩魔、検事……」
「先生、とは呼ばないのだな。御剣」
 成歩堂の躯、成歩堂の顔、成歩堂の声。だが間違いなく、今此処にいるのは、御剣の身体の自由を奪ってい
るのは、狩魔豪だ。御剣はそれを確信していた。
「せっかく消えぬ証拠を残してやったと思ったのだがな。絞め方が緩かったか」
 成歩堂は――否、狩魔は、御剣の首元を、つうっとなぞった。
 今なら解る。この体温は、死人の体温だ。
「それにしても、何だ、このざまは。こんな弁護士と逢瀬だと? 我輩の弟子は、取るに足らん存在にまで身
を売る阿婆擦れになったのか。嘆かわしい。こんな、我輩を――我輩を、告発した男に。師匠を告発し絞首刑に
追いやった男に、貴様は身体を売っておったのか」
 違う。御剣はそう言おうとした。だが、声が出ない。
「我輩は、付き合う相手は選べ、と教えた筈だ。こんな雑種と付き合っては、狩魔の血が穢れる」
 違う。
「そもそも貴様が20歳などという若輩者で検事になれたのも、我輩が育てたからだろう? ならば、我輩の言
う事には絶対の忠誠を誓うのが筋だろうが。完璧を以って良しとするのならば、そう、我輩が今の身の上になっ
ても、言う事は聞くべきだ。違うか? 御剣怜侍」
 違う、違う――
「違うッ!!」
 御剣は、吼えた。狩魔の顔が歪む。
「わ、私は、もう、貴方の弟子でも、奴隷でも、性欲処理の道具でもない! なぜなら、あ、貴方は……貴方は
、もう、裁かれたからだ! この世に、いて、いい筈が」
 無理矢理、身体を捻る。万力のような力で締められあげた手首が痛んだが、ここから逃れられるなら、手首の
一つや二つ、惜しくは無かった。
「だ、だから、私は、私は――」
「抵抗するのかね? そうか。なら、我輩は」
 ぞくり、と。再び背筋を、寒気が襲った。
 狩魔の手が――狩魔の操る成歩堂の手が、ベッドサイドに伸びる。その手には、万年筆が握られていた。


 彼は器用に蓋を外すと――その先端を、己の目玉に向けた。
「――ッよせ!!」
 御剣が鋭く吼えると、コンマ数ミリの所で、先端が止まった。
「抵抗したいなら、すればよかろう。その時は、この弁護士を殺すまでだ」
 成歩堂の顔をした狩魔は、あっさり、そう言った。
「この目玉を抉り取り、あの世でも貴様の顔を拝めぬようにする。手を切り落とし、あの世でも貴様に触れられ
ぬようにする。足を切り落とし、あの世でも貴様に追いつけぬようにする。ああ、いっそ貴様に撃たれたとこ
ろを、もう一度撃ってやろうか」
 水が流れるように、言葉を紡ぐ狩魔。その目には、一切の迷いがなかった。
 御剣は、抵抗をやめた。抵抗すれば、成歩堂が殺される。
 以前、似たような事件があった。その時の裁判では傍聴人に過ぎなかったが、今でもはっきりと覚えている。
 復讐すべき相手に憑依した霊は、しかし、復讐すべき相手に憑依してしまったが故に、何も出来ずに、あの世
へと還っていった。
 彼女は、復讐の為に、相手を己ごと殺す事が出来なかった。
 だが、今目の前にいる男は、違う。彼はきっと、簡単に、肉体を、殺す。
 そうして、それで、きっと終わらない。次はきっと、別の肉体を用意してくる。それは懇意にしている刑事か
もしれない。騒がしいが憎めない幼なじみかもしれない。知っている人間の顔が、次々浮かんでは消えた。
「……賢明な判断だ」
 狩魔は薄く笑うと、万年筆を仕舞い、両腕で大人しくなった御剣の身体を抱きしめた。
 ――寒い。根こそぎ、体温を奪われていくようだ。

「さあ。……では、始めようか。御剣。あの頃のように」

 狩魔が、そう宣言した。
 御剣の目から、涙が一滴、零れた。


――冷たい。
 慣れた成歩堂の――しかし、今は狩魔の――唇は冷たかった。
 だがその舌遣いは間違いなく狩魔豪のそれで、混乱する。成歩堂の、幼子の頭を撫でるような優しいキスとは
違い、狩魔のそれは、まるで神経の柔らかいところを蹂躙するようだった。
 自然と息が上がり、頬が上気する。身体が、熱い。
 口付けが上手くなったな、と揶揄され、心臓が跳ねた。
「昔は拙い口付けだったが。ああ、そうか。この男の為に練習したのだな。完璧を以ってよしとする、か? 閨
でもそうなのだな、貴様は。――こんな男如きの為に。」
 そう狩魔はせせら笑った。
 その男に真相を明かされ、処されたのではなかったか。そう思った瞬間、ぐいと手で顎を掴まれた。
「余計な事は考えるな、と躾けたはずだが?」
 破裂音と共に、ベッドに倒れこむ。頬を打たれた、と、じわりと広がる熱で自覚した。
「ふん。口付けはもういい」
 狩魔はそう言うと、御剣をベッドから落とし、自分は縁に股を広げて座った。
「舐めよ」
 そう一言、命令した。
 御剣はゆっくりと身体を起こすと膝立ちになり、半勃ちしつつあるそれを口に含んだ。
 これも、冷たかった。
「普段、そうやってこの男の陰茎をしゃぶっているのか?」
 狩魔の嘲る声が、氷雨の如く御剣に浴びせられる。
「とんだ淫乱だな、貴様は。そこまで売女に育てた覚えは無いぞ?」
 此処に居るのが狩魔だということはわかっている。だが成歩堂の声で嘲られると、まるで成歩堂本人にもそう
言われているような心地がした。
 成歩堂は、決して、そんな事は言わない。そう解っていても、錯覚してしまう。
 声や、この――口に咥えているペニスで。
 御剣は、一身に、冷たいくせにしっかり血は巡り、勃起してくるそれに、奉仕を続けた。
 舌先でカリ首を舐め、竿をなぞる。よほど丁寧に洗ったのだろう。精臭どころか、シャンプーの甘い匂いがし
た。
 優しく、抱いてくれるつもりだったのだろう。きっと。
 だがその肉体を使い、狩魔は自分を強姦しようとしている。昔のように。否、彼ならきっと、「強姦ではなく
同意の上」と主張するだろう。
 それが、私が施された、躾なのだから。


「よし、飲め、御剣」
「ッ……!」
 口の中に、どろりとした精液が放たれた。
「残さず、全て飲め」
「……」
 返事の代わりに、命令に答えた。喉に絡み付きながら、胃へと落ちていく。
 成歩堂の精液は、濃厚な味がした。そういえば最近は、互いの仕事が忙しく、こうして睦みあう時間も無かっ
た。きっと、溜まっていたのだろう。
「旨そうに飲み干すな。そんなに旨いか? この弁護士の精液は」
 狩魔が、蔑んだ目線を向けた。
「ああ、いや――違うな。貴様は我輩の精液を飲むのも好きだったな。誰のものでも喜ぶのか」
 この淫乱、と、狩魔は吐き捨てるように言った。
 御剣は何も言えずに、唇を噛んだ。頭の中がぐしゃぐしゃと蹂躙されていくようだ。
「……ほう」
 狩魔の声に、御剣は思わず頭を上げた。
「やはり貴様は異常者のようだな。この状況で、勃起するとは」
「――ッ!」
 顔が熱い。羞恥で身体がかあっと燃え上がるようだった。
「御剣」
 そう呼び掛けて、狩魔は、御剣の勃起したペニスを踏みつけた。
「ぐッ!?」
 痛みに思わず身体が跳ねる。しかし狩魔は全く関せず、爪先や踵で御剣の竿をなぶり続けた。
 その踏み方は、生前の狩魔が御剣に施したものそのものだった。
 間も無く、くち、くちゅ、というねばついた音が、そこから盛れ出した。
「やはり貴様は正直だ、御剣。とても正直な身体をしている」
 くつくつと成歩堂の喉で、成歩堂の顔で、狩魔は笑った。
「御剣、貴様は誰に欲情している? 我輩か? それともこの取るに足らない男か?」
 いや、と、狩魔は首を振った。
「貴様はきっと、誰にでも欲情するだろう。結局、貴様は唯の淫売なのだからな」
 御剣の雄は、狩魔の足の下で、ますます固く勃起し、先走りを垂れ流していた。
「父親はまだいいだろう。子どもだったのだから。だがその後は、我輩に依存し、次はこの男に依存し……ああ
、あの駄犬の刑事も懇意にしていたな。貴様はそうやって、誰かの奴隷になり、腰を振る事でしか生きてゆけぬ
のか?」
 赤く腫れあがった亀頭の先を、狩魔の親指がぐちゅりと蹂躙した。
「ひッ……!」
「だらしなく勃起させおって……愚か者が」



 果ててしまう――休みなく与えられる残酷なまでに甘美な刺激に、御剣は目をぎゅっと閉じた。
 だが師は、自分が達する事を認めてはいない。だから達してはならない。

 まるで時間が逆転したようだった。かつて死んだはずの師に、かつてと同じように奉仕する。あの頃と、ま
るで同じだ。

「達したいか、御剣」
 まるで獲物を甚振る爬虫類のようだ。
「……ッ」
「達したいか、と訊いておるのだ。答えよ」
「やッ……」
 イきたいのか。イきたくないのか。自分でも、解らない。解らないまま、魂を蹂躙される。
「そうか。達したくないのだな。なら、我輩が手伝ってやろう」
 狩魔が、哂った。
「……来い、御剣」
 言われるままに、ベッドに上がる。
「よし……動くな」
 いつのまにか、狩魔の手には、何か布のような物が握られていた。見覚えのある薄赤。成歩堂のネクタイだ。
 一体、何を。そう思った瞬間には、狩魔はそのネクタイで、御剣の勃起した陰茎を縛り上げていた。
「せんせ、一体、何を」
「貴様の一物はだらしがないからな。我輩が手伝ってやろうと思ったのだ。ありがたく思え」
 既に溢れていた先走りが、成歩堂のネクタイを穢していく。薄い赤が、湿った紅に変わっていく。
 大切な人の持ち物が、穢されていく。自分の体液で。
 先生、と呼ぶ前に、狩魔が口を開いた。

「慣らせ、御剣」

 ――ぞくり、と、震えた。

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